付記
この作品で扱った内容は古代思想全般にわたります。このような広範囲の内容を一人で扱うことは不可能ですし、学者なら自殺行為でしょう。しかし、高校の現場では、不可能なことを一人の教師がしなくてはなりません。なるべく原典に触れ、また参考文献にあたろうと思いました。しかし、時間的、また能力的にも限界があります。無難にするならば、教科書にもあるように、一般にこう言われている、この点に関しては、このように書いている人もいる、などと言う程度におさめておけばいいのでしょう。しかし、そのような授業では、生徒たちは確実に離れていきます。こう言われているがそれは何故か。それがどんな意味があるのか。そのようなことを教師自身の言葉で語らない限り、生徒たちは教師の言葉を空しいものと感じてしまうでしょう。だから、限られた知識のなかでも、それを,自分自身がどう納得できるか、どう考えたら、自分自身にとって、過去の思想家の言葉が生き生きとしたものと響いて来るのだろうかと考えながら、話をしてきました。よく学校の授業については、「教科書を教える」のではなく、「教科書で教える」と言われます。その意味なら,この本作品は、「思想家を教える」のではなく、「思想家で教える」という結果になってしまったかも知れません。少なくとも、僕自身は、この本のなかで自分にとって心から納得できる内容を伝えたいと思いました。
この作品を書くにあたっては、多くの人から影響を受けました。特に大学と大学院時代の先生方には多くのことを教えていただきました。また、西洋思想関係は、学生時代から多くの本を読み、そこから色々の影響を受けましたが、どんな部分にどの程度の影響かは、自分でも判別できないほどになってしまっています。また、東洋関係の思想、特に仏教に関しては、角川書店の「仏教の思想」1~12によって、仏教理解の基本的枠組みを教えられました。その意味では、多くの方々に助けられました。そして、何よりも、授業で出会った生徒たちに感謝したいと思います。彼らの様々の反応や、感想、そして熱心に耳を傾けてくれたひたむきさなしには、自分の授業をまとめて作品にしてみようとは考えることはなかったと思います。