入院棟へ続く道と珈琲
昭和大学病院の入院棟を出た僕は、まっすぐに旗の台駅へ向かって歩み始めた。入院棟の14階にいる妻からは、僕の姿は見えているはずだ。妻が入院してからすでに3週間。この一時の外出は、僕の日課になっていた。左右に飲食店がならぶこの旗の台東口通りをまっすぐに進むと、すぐに旗の台駅に着く。池上線と大井町線が交差する旗の台駅を右に見ながら、踏切を越えてまっすぐに進む。高架になっている大井町線の下をくぐり、秀和レジデンスのある四つ角を右に曲がると、すぐ左に珈琲専門店「おあしす」がある。僕の外出の目的はこの店の珈琲にあった。
妻が入院をしてから毎日、僕は昭和医大の入院棟に通った。入院が長くなると、珈琲好きの僕は、時々は美味しい珈琲を飲みたくて、旗の台駅近辺を探した。食に関しては美食家というよりむしろ味音痴の僕だが、珈琲に関してはそれなりの想いがある。少なくとも、自分が入れる珈琲よりもまずい店には、二度と行かないか、そこでは珈琲の注文はしない。初めて珈琲専門店「おあしす」の看板を見つけた時は、その大時代的なネーミングを見て、珈琲専門店とはいえあまり期待はできないと思いながら扉を開けて入った。濃い茶色のカウンターと机、また同系色の木製のフローリングがアットホームな雰囲気で僕をむかえてくれた。店内は、珈琲の色を思わせる濃い茶色と壁の白という落ち着いたツートンカラーで統一されていた。僕は窓際の席に座り、今月のおすすめの珈琲を注文した。美味しかった。僕が珈琲を飲みはじめると、マスターが立つカウンターの内側の棚に左右におかれたBOSEのスピーカーから、昔懐かしいテネシーワルツが静かに流れてきた。その瞬間、時が数十年昔に戻った。この空間だけ、時がゆったりと流れている。僕はこの店がいっぺんに気に入ってしまった。それ以来、毎日、妻が退院をするまで、僕はこの店にかよいつめた。
「おあしす」の客の多くは団塊の世代である。店内に流れる音楽は、今風の若者にうけるようなものではなく、一昔前の音楽が多い。彼らも、恐らく僕と同じことを感じているに違いない。違和感のない空間で、懐かしい音楽を聴きながら、ゆったりと珈琲を味わうこと。味わいながら、自分に立ち返って考えてみること。確かに、一杯500円以上する珈琲は、チェーン店のコーヒーよりも高い。しかし、チェーン店のような、誰がいれても同じ味のする機械で入れた珈琲にはない人間のこだわりというか、ぬくもりがこの「おあしす」の珈琲にはあった。そんな味を楽しむために、僕は毎日この珈琲専門店にかよった。
ゆったりとした一時を過ごした後、僕は「おあしす」を後にして、妻の待つ昭和大学の入院棟へとむかう。駅からの道が進む方向には昭和大学病院の入院棟がある。僕が珈琲を楽しんでいることを妻は承知しているというものの、治療に苦しんでいる妻をおいて、一時の安らぎを求めた自分の後ろめたさを感じながら、僕は一直線に入院棟へと向かう。入院棟はこの道の真正面に、周囲を威圧するように聳えている。この道を僕は一日に二回は歩いた。一回目は、その日初めて病院の妻のもとに行くために旗の台駅から、二回目は、珈琲を味わった後、「おあしす」から。歩きながら、僕は色々なことを考えた。妻は今どんな気持ちでいるのだろうか、今日は体調がとうだろうか、不安な心を抱きながら、僕は入院棟へと僕を導くこの道を歩いた。そして、妻の元気は顔を確認すると安心をした。
僕が向かった入院棟は17階建てだが、周囲に高層ビルがないので、ひときわ高く聳えている。その最上階は帝国ホテル系のレストランになっているが、このタワーレストラン昭和の広いガラス張りからの眺めは素晴らしい。晴れた日には、右側に富士山の雄姿が望まれ、左側には羽田空港への離着陸を繰り返す旅客機が眺められる。視線を下にむけると、東急の大井町線と池上線が交差する旗の台駅が見える。駅の左側から僕が日参しているあの道が、一直線にこの入院棟へと向かっているのが見下ろされる。僕はレストランの窓際の席に座りながら、僕がよく通ったあの一直線の道を眺めた。あの道を、ぼくと同じような気持ちで何人の人が歩いているだろうか。ふと思った。僕は城の天守閣にいる。そして、眼下に眺められる街は城下町のようだ。そして、あの一直線の道は登城の為の道か・・いや、あの道を祈りにも似た気持ちで入院棟に向かう僕のような人々がいる限り、あの道は入院棟というサンクチュアリー(聖域)へと進む参道ではないのか・・・僕はそう思った。