我が目の梁
人生には、偶然に起こったと思ったことが、長い年月を通じて力をもち、振り返ってみると、それは偶然というよりは、摂理と思わざるを得ないようなことがある。僕にとって、それは結婚式の只中で起こった。
僕が結婚してから、すでに40年近く歳月がたった。結婚式は四谷の上智大学のキャンパスの中にあるクルトゥアハイムで行われた。結婚するなら、僕の青春がいっぱいつまっている上智大学にあるこの小さな聖堂でと決めていた。司式は大学でドイツ語を教えてくれたジーメス神父にお願いした。ドイツ人のこの神父は、学問に関しては厳しかったが、学生には人気があった。山が好きで、学生たちと一緒に登山をした。風呂が好きなことから、ドイツ語で哲学者を意味するフィロゾーフをもじってフロゾーフの愛称で呼ばれていた。青く澄んだ瞳が印象的な神父だった。
三月の末だというのに、前夜に雪が降った。晴れわたった翌日、クルトゥアハイムの庭の白い雪が美しかった。僕たちを祝福しているかのようで、嬉しかった。
限られた親戚と親しい友人に見守られて、式はとどこおることなく進んだ。そして、誓いの言葉を述べる場面になった。僕たちの前に立ったジーメス師は、たどたどしいが厳かな調子で言った。
木戸博之、あなたはここにいる森田久子をあなたの妻とすることを誓いますか。
いや、そう言うはずだった。しかし、実際にはジーメス師は大きな声でこう言った。
木戸博之、あなたはここにいる森田久子をあなたの罪とすることを誓いますか。
妻 ではなく、罪!
カトリックの司祭にとって、「罪」とはよく使われる言わば業界用語だ。そのために妻を罪と言い間違えたのだ。ジーメス師のはなった「ツミ」という言葉が式場に鳴り響いた。
瞬発力に乏しい僕が、あの時ほどめまぐるしく考えたことはなかった。一瞬のためらいの後、ジーメス師の青く澄んだ瞳を見返して、僕は答えた。
はい、誓います。
あの時、僕は考えた、いや、予感した。結婚とは今まで別々の道を歩んできた人間が一緒に住み、一緒に生きていくことだ。どんなに愛していると思っていても、必ず、行き違いがおこるだろう。そして、その責任を相手のせいにするようになるに違いない。あなたがそのようだからと相手を責める心が生まれるに違いない。そんな時、僕は相手を責めまい。問題は自分だ。相手の罪ではなく、私の罪としていこう。もし、困難に打ちひしがれることがあったなら、責め合うのではなく、自分が、いや二人が試されているのだと考えよう。結婚にあたって迷いはなかった。心は決まっていた。しかし、僕が結婚に伴う試練を引き受けようと決意したのは、あの瞬間だった。
「私の罪」を引き受けたあの瞬間から、長い時が流れた。決して平坦な道ではなかった。しかし、困難に出合うたびに、僕は、あの時のあの言葉を思い出した。そして、そのたびに、僕は苦しみから立ち直ることができた。また妻は、何かの折に「私は罪だから」と明るく居直ることで、周囲を和ませてくれた。
時々僕は、あの時のジーメス師の「あなたの罪」との言葉は何だったのだろうかと考える。単なる間違いだろうか。当時、すでにあの時の僕の年齢よりも長く日本に滞在していた師が、日本語を間違えたとも思えない。その後の僕たちの行方を思い、僕を諭すつもりだったのだろうか。いや、もしかしたら、ジーメス師の澄んだ青い瞳を通して僕たちを見つめていたのは、僕たちが歩もうとする遥かなる道程を知っている大いなる方ではなかったのか・・・
ふと、そんな風に思うことがある。