円覚寺居士林の風



円覚寺・居士林の風

 JR横須賀線の北鎌倉駅で降りると、円覚寺はすぐそこだ。総門をくぐり、北へ上っていくと、山門、仏殿をへてすぐ左に居士林がある。居士林は,夏目漱石も参禅をした禅堂で、現在でも定期的に学生の座禅会が開かれている。学生の頃、僕も学生のための座禅会に参加したことがあった。

 居士林では、参禅者はたたみ一畳で生活をする。たたみ一畳で寝て、たたみ一畳に坐る。朝は起床を告げる木鐸が鳴ると、30秒くらいで座禅を組まなくてはならない。布団は正方形のせんべい布団。真ん中に紐がついている。その半分を折って布団に包まれるように寝る。初めの頃は、木鐸が鳴ってから、どうしても時間内に、坐ることができなかった。しかし、そのうちにコツを会得した。木鐸が鳴る前に起床の準備をしていなくてはならない。横になった状態で右手は紐を握っている。木鐸の合図と同時に、右手を紐から離さずに、布団から抜け出して、布団を丸めると紐を結んで上の棚に投げ込む。コツが分かると意外と早く、数秒で、布団を片付けて座禅の体勢になることができる。食事は二回。朝と昼のみ。夜は薬石といって、体のための薬としての食事だ。朝昼の食事の残りを「おじや」にしたものをいただく。食器は洗わない。今は知らないが、昔はそうだった。最後に白湯を頂くときに、箸で洗ってそれを飲み干す。

 座禅会では色々と考えさせられた。

 長い時間坐っていると、気持ちが落ちついてくる。「無我の境地」にはほど遠い。坐りながら、色々なことを考える。臨済宗は壁を背にして坐るので、薄目をあければ周りの様子が分かる。自分と同じように坐っている仲間が何人もいる。そして自分。このように坐っていても、具体的には何の得にもならない。それなのに、人間は損得を度外視して、何故、このようにひたすらすわろうとするのだろう、不思議に思った。

 「宗教」ということについて考えさせられた。実は、この座禅会に最後までいることができなかった。座禅の合間の「三拝」がネックだった。三拝とは、礼拝を三度することで、五体投地のようなものだ。額ずいて、膝と肘と手と額を床につけ礼拝し、立ち上がって合掌する。この一連の動きを三回繰り返す。当時の僕は、この三拝が嫌だった。屈辱的な感じがしたからだ。仏教に敬意をいだいてはいたが、信じてはいなかった。ただ、心の支えが欲しくて、参禅した。「座禅を組む」ということには、抵抗はなかった。しかし、自分の体を曲げて五体投地をすることは別だ。仏教を信じていなくては、五体投地は心からできない。「宗教的である」ということと「宗教を生きる」ということは別だ、とその時思った。心の中でただ思うだけでなく、どこかで体を動かして生きることと結びつかなくては、本当に宗教を生きるということにはならないと思った。「三拝」についてのこのモヤモヤした気持ちのために、途中で座禅会を投げ出すことになってしまった。

 夜の参禅は「夜座」といって自由だった。何時間でも自由に坐ることができた。夜を徹して坐った。当時、居士林の夜は暗闇だった。何一つ見えない。これだけ長く坐っているのは僕一人だろうと思った。しかし、外がかすかに白み出す頃、座禅堂のあちこちに、ぽつんと坐っている仲間の陰が、うっすらと浮かび上がってきた。一人ではなかった・・・不思議な感動を覚えた。

 こんな僕だから、悟りなどほど遠い状態だ。老師は、何も考えるな、無我になれ、と言うが、無理だ。ただ静かに坐るだけだ。背筋をのばして静かに、深呼吸を繰り返す。ゆっくりと鼻から息を吸い込み、静かに口から息を吐き出す。静かな深呼吸だ。嫌な想いも、体の中の毒素もすべて吐き出すように、深呼吸を繰り返す。息が、大自然の風のように、僕の体の中を通っていく。心が落ち着いて、とても穏やかな心で、まるで深い海の底をゆっくりと歩いているようだ。ふと、その時、我に返った。一体、自分は今、何をしていたのだろうか。確かに、意識はあった。しかし、「何も考えるな」とか「無我になれ」などとは何も考えてはいなかった。心は本当に静かだ。

 僕は禅の悟りの境地などはわからない。しかし、居士林の風は涼しかった。居士林の風は、瞬間だったが、僕の中を吹き抜けた。「生きる」ことは「息をする」こと。そして「息」は「風」に通じる。そう思った。それにしても、あの時、僕の体の中を通り過ぎたあの風は、どこから来て、どこへ去って行ったのだろうか。