第三回 アウグスティヌス 2

第3回 アウグスティヌス 「告白」 2

前回は、アウグスティヌスの「告白」を通して、彼のキリスト教に至るまでの歩みをお話ししました。その中で「マニ教」、「プラトン派の書の影響」、「回心」の三つについて考えてみたいと思います。

「マニ教」

皆さんが、「マニ教」を主題とした話を聴くのは、今回が初めてで、もしかしたらこれが最後になるのではないでしょうか。僕もアウグスティヌスを読むまで、マニ教については全く知りませんでした。しかし、マニ教はとても面白く、色々と考えさせることを持っています。アウグスティヌスはマニ教に9年間もとどまっていました。アウグスティヌスほどの人物をこれほど長く引きとどめていたのは何だろうかを考えてみたいと思います。

マニ教は3世紀のササン朝ペルシアで生まれたマニを開祖とする宗教です。マニはキリスト教から影響を受けただけでなく、遠くインドまでも旅をして仏教も知ることになりました。かくして、マニはゾロアスター教を元として、さまざまの神話やキリスト教や仏教の要素を取り入れた宗教を作り上げました。マニ教は中央アジアからローマ帝国内へ、さらにはインド、中国にまで広まりました。しかし、ヨーロッパではキリスト教に押され、イスラム教の登場により圧迫を受け衰退することになります。

アウグスティヌスがマニ教に足を踏み入れていったのは、マニ教のそのような折衷主義が影響していました。マニ教はイエスについて否定はしていません。むしろ評価しています。しかし一方でマニ教は旧約聖書を否定しました。アウグスティヌスが親しんできたイエスを評価する一方で、彼にとって理解しがたかった旧約聖書を否定するマニ教は、彼にとって母モニカの泥臭いキリスト教よりも合理的に思えました。だから、マニ教への入信は、アウグスティヌスにとってキリスト教を捨て、別の宗教を選んだというのではありませんでした。

マニ教の世界観

始めに、マニ教がどのような神話というか、世界像を描いていたかを見てみましょう。
マニ教によると、始めに(太古の昔から)世界には光と闇、善と悪の二つの国がありました。しかし、ある時、闇の国の帝王が光の国を妬んで、その光を奪おうと光の国に侵入しました。その結果、光の国と闇の国の間に闘争が起こり、善と悪、光と闇の分子が混ざり合ってこの世界がうまれることになりました。マニ教によると、この世界は光と闇、善と悪の闘いの場です。それでは人間はどうか。人間の肉体は光の分子(魂)を閉じ込めて光の国への帰還を妨げるために造られた悪魔の仕業であり、光と闇、善と悪、魂と肉体の闘いがあります。人間の中でも、世界的に展開されている光と闇、善と悪の闘いが行われています。しかし人々はそのことを知りません。それを知らせる者が預言者であり、イエスと仏陀も預言者ですが、最後にして最大の預言者がマニとされます。

このような世界観はその中に重要な二つの問題を秘めています。マニ教の善悪二元論と意思決定論です。

善悪二元論

キリスト教のように神が世界を創造したとする宗教にとって、一つの問題点は、全能の神とこの世の悪の存在という矛盾です。誰でも人生において何故このような悪しきこと、悲惨なことが起こるのかという疑問に遭遇すると思います。神は何をしているのか。この世の悪をなくすことができないとするなら、神は全能とは言えないのではないか。歴代のキリスト教思想家は、この難問から神の絶対性を護るために腐心してきました。神によって創造された世界には、悪という実体は存在しない。悪とは「善の欠如」である。また、ちょうど絵画において、光と影の部分があっても、全体としてみるとそれは美であり善あるように、一見悪とみえるものでも、全体としては善である・・・等々。旧約聖書では、この問題については預言者たちが、人々にかたりかけました。異民族の支配にあえぐイスラエルの民の不満に対して、預言者たちが語りかけます。イスラエルの苦しい現実は神によるものではない。むしろわれわれが神の教えに背いたことによって私たちがこの苦しみを招いた。それ故大切なことは自らの罪を悔い改めることだ。そのようにして、現実の悲惨な状況をむしろ試練として受け止めるよう、預言者たちは人々に語りかけ、そのような反省のなかで、ユダヤ・キリスト教は宗教の純粋性を作り上げてきたと思います。それにしても、この世の悪、悲惨に対して「何故?」という人間の疑問は残ります。

この点に関して、マニ教の答えは明瞭です。善と悪はもともと別個の物として存在する。善は神であり、悪は悪魔の仕業である。マニ教が世界を神が創造したという創世記を否定するのは、このような物質的世界は善である神によるはずがないとの考えからでしょう。もともと、「分かる」というのは「分ける」ということからくると思います。善と悪と分けることのほうがすっきりとして分かりやすいものです。例えば、僕たちは人間を善人と悪人に分けることがよくあります。実際には完全な善人、悪人など決してありえないのですが、そのように考えがちです。そのほうが問題の処理をしやすいからでしょう。若いアウグスティヌスにとっては、マニ教の考えのほうが、キリスト教の考えよりも、分かりやすく合理的に思えました。

マニ教の意志決定論

マニ教には意思決定論という考えがあります。意志決定論に対するものが自由意志論です。僕たちは普通、人間には自由な意志があると考えています。しかし、人間の意志は自由かそうではないかという問題は、一筋縄ではいかない問題です。元来、刑事事件の場合は、基本的には責任能力をみとめ(つまり本人の自由意志の存在を前提とし)ますが、被告人の置かれている状況、育ってきた環境などをかんがみて、情状酌量を認めるということがあります。この場合、人間には善悪の判断ができそれに従うことができるとは単純には考えられない要素があるということだと思います。人間という存在そのものが、深くて分かりにくいものであるように、人間には自由意志があるのかないのかという問いに答えるのはそう簡単なことではありません。

今お話したように、意志の自由があるかないかという問題は、自由にともなう責任と深くかかわっています。例えば、僕が階段の前に佇んでそぞろ考え事をしていたとします。そこへ誰か悪意ある人が僕の背後から近づいて、不意に僕の背中を押しました。僕は不意をつかれて階段を転げ落ちます。そこへ運悪く誰かが階段を上ってきて怪我をしました。この場合、その人の怪我について僕に責任があるかどうかという問題です。普通には、責任の所在は僕を背後から押した悪意ある人にあると考えるでしょう。

マニ教の場合はどうでしょうか。マニ教はこの世を光と闇、善と悪の闘いの場と考え、その世界的な闘いが、人間のうちにも展開されていると考えます。マニ教によると、「迷う」ということは善と悪の闘いの決着がつかない状態です。この闘いの結果、善が勝てば善い意志が、悪が勝てば悪しき意志が発動されます。厳密に言えば、マニ教は個人の自由意志はないと考えました。

日本語にも、「悲しい性で」とか「業が深い」という言葉があります。それは、自分はこうであれば、あるいはこうしてはいけないと思ってがんばっているのに、どうしてもできない。なんて「業が深い」のだろう、なんという「悲しい性」なのかというような使い方でしょう。

アウグスティヌスの場合はどうだったでしょうか。アウグスティヌスは卓越した知力をそなえていましたが、欲望も人一倍強くもっていました。19歳の時にキケロの作品にであい、むなしい欲望を捨てて知恵をもとめようと決意した彼でしたが、マニ教に触れることで、彼の中の「善と悪」の問題についてさらに敏感になっていったと思います。アウグスティヌスは欲望に抵抗できない自分について、「自分の中の悪魔がそうさせた」といった居直り、責任転嫁をしようとはしませんでした。しかし、どこかで、こんなに頑張っているのに、罪をおかしてしまうのは仕方がないではないか、という一種の慰めのようなものをえていたのではないでしょうか。よくアウグスティヌスがいつまでマニ教にとどまっていたかという議論がありますが、僕は、本当の意味でマニ教から脱出できたのは、彼自身が自分の罪を他のものに転嫁することなく、まさにこれは私の罪なのだと受け入れることができたとき、つまり、キリスト教への回心が起こったときではなかったかと思います。


プラトン派の影響

修辞学の教授としてミラノに赴任したアウグスティヌスにとって大きな転機は、プラトン派の書物との出会いでした。厳密に言えば、プラトンというよりは新プラトン主義のプロティノスの作品に出会ったのですが、学者的な厳密さはさておけば、プラトンに代表されるギリシア哲学の本質的な部分に触れたといっていいと思います。そこでアウグスティヌスはキリスト教が分かった、といっています。これは一体何でしょうか。普通、ギリシア思想とキリスト教とは別のものと考えられています。それにもかかわらずプラトン派の本を読み、キリスト教が分かったと言う。それは何でしょうか。また、それにもかかわらず、アウグスティヌスはすぐにキリスト教に飛び込むことができませんでした。これは何でしょうか。ここでは、プラトンはアウグスティヌスに何をあたえたか。そして、何が不足していたのかという点に焦点を当てて考えてみたいと思います。


プラトンはアウグスティヌスに何をあたえたか

それは、言わば「迷信からの解放」とでも言ったらよいのではないでしょうか。プラトンに出会うまで、アウグスティヌスは存在するものを「空間をしめる物質」以外に考えることができませんでした。だから、神を「無限の空間」spatium infinitumに広がる「もの」としてしか考えることができませんでした。プラトンに代表されるプラトニズムの核心は、現に目に見える物質だけが存在するものの全てではない、ということでしょう。僕が「迷信からの解放」と表現したのは、物質以外には何も存在しないという頑なな観念から、アウグスティヌスが解放されたということです。

アウグスティヌスは告白なかで(第7巻10-16)、次のように告白しています。プラトン派の書に促されて、自分自身に立ち返り、心の最も内なる部分へ入っていき、そして何か魂の眼のようなもので、まさにその魂の眼を超えたところに、私の精神を超えたところに、不変の光を見た。その光は通常の光ではなく、肉眼でみることのできる光ではなく、全くそれとは似ていない光だった。

少し、乱暴な解釈してみます。

∞+1=∞ と言われます。

そもそも、無限に1を加えることができるのかという問題もありますが、無限とは文字通りを「果てしない、きりがない」ということでしょうから、1を途中にわりこませることになります。そしてこの等式から等しい∞を双方から引くと

1=0となります。

これはどういうことでしょうか。無限に有限を加えると有限が無になるということでしょうか。

僕は数学に対しては全くの素人ですから、数学の問題としてはわかりませんが、この問題は僕たちが生きている現場にとっては大きな意味をもっていると思います。

死すべき人間は、永遠へのあこがれを持って生きてきました。移ろいゆく我が身に比して、移ろわぬ何か、永遠なるものへの郷愁をいだいてきました。知を愛するという哲学においても、同じでした。

パルメニデスは、真にあるものは不生不滅、不変不動であるとして、現にあるこの世界を「思いなし(ドクサ)」の世界、偽りの世界としました。

プラトンは、精神の眼でのみ見ることのできるイデアこそ真に存在であると言い、イデアを「存在」とするなら、現実の世界のものは「非存在」としました。

僕たちは、絶対的なもの、究極的なもの、永遠、完全、不変、無限ということを考えるとき、いわば「壁」にぶつかります。時間・空間の中に組み込まれたこの世には、そのようなものは存在しえないからです。その壁を超えるには、自己の外に、つまり物質的世界に目を向け、自己が分散してしまうのではなく、自己の内へと還帰し、さらには自分自身をも「移ろいゆくもの(mutabilis)」であるとの自認を通じて、つまり自己否定を通じて、真理そのもののうちに至る必要があります。

アウグスティヌスが「プラトン派の書」に促されて、」自己自身へと帰還し、さらに自己自身をも超えたところに光をみたということは、そのような事態を表明したものでしょう。

これらのことからアウグスティヌスにとって、重要な帰結が二つ出てきます。

一つは、肉眼によってみることのできるものは、自己の外に広がる空間を占める物質的なものであるが、そこから自己自身の内へ帰ることによって、精神的な存在に気づくことができる。有名な彼の言葉がそれを端的にしめしている。「外に行くな、汝自身の内に帰れ。内なる人間のうちに真理は住んでいる」noli foras ire, redi in te ipsum. In interiore homine habitat veritas

あと一つは、そこで魂の眼で、魂の眼を超えて、つまり私の精神を超えたところに、光を見たということの意味です。ここでアウグスティヌスは自己と真理(真の存在、光,神)との差異を繰り返し強調します。「超えて」(supra)と言うとき、それは、「油が水の上に」とか「天が地の上に」とかいうのとはまったく違うと強調します。アウグスティヌスは神に祈る時に、よく「誰があなたに似ているでしょう」quis similis tibi? と言います。自己を超えて光を見たというとき、その光は通常の光とは「全く違うもの」valde aliudと言います。「似ている」とは同じ地平で比べることができることでしょう。しかし、アウグスティヌスのいう光は、同じ地平に立つことができないからこそ、「全く別の」valde aliudと表現せざるを得ないのでしょう。この強烈な差異のゆえに、アウグスティヌスは「真理(神)が存在することを疑うよりも、私が生きていることを疑うことの方が易しい(注)、と表現したのでしょう。


プラトンには何が不足していたか。

アウグスティヌスは自分の「回心」を語った「告白」の第8巻の冒頭で「私はこれ以上あなた(神)について確かなcertior」認識を得たいと思わなかった。私はあなたの内にもっとしっかりとstabilior留まりたかった。」と告白しています。アウグスティヌスは先ほどの(告白7巻)で私の精神を超えて光を見たと語った後に、「ちょうど夢の中で美味しいごちそうが出されたのに、夢から覚めてその香りさえ憶えているのに、食べることができないやるせない思い出memoriaのみが残った」と語っています。アウグスティヌスにとって、プラトンに不足していたものは、「何時でも」そこに堅固にとどまることのできる持続性でした。

プラトンに代表されるギリシア哲学は、人間の理性を重視します。理性の働きをとぎすまして初めてみえてくるものが真理であるとされます。僕が思うに、宗教にしても哲学にしても、精神的に冴えているときにのみ輝きを見せるのでは本当のものではないのではないでしょうか。人間は精神が高揚しているときばかりでは、ありません。打ちひしがれ、悩み、苦しむときもあります。時には病におち熱に苦しむときもあります。精神の高揚した時も、打ちひしがれたときも、どんな時でもその人をつかんで離さないものこそ、本物ではないでしょうか。そのような何時でもその人の支えとなる持続性を、アウグスティヌスはプラトンに見つけることができなかったのだと思います。

プラトンの立場からは一貫したものがあるでしょう。そもそも、人間は魂と肉体からなりますが、本来の人間は魂であり、肉体は魂を閉じ込める墓場とみなされます。肉体は悪しきもの、そこから逃れるべきものとされます。それに対してキリスト教においては神が世界を造り、また人間も造りました。何故、神は魂だけでなく肉体も造ったのか。肉体は悪しきもので、神様の失敗作、とはいえません。そこでギリシア思想ではあまり主題とされなかった人間の弱さ、罪というものが問題とされます。アウグスティヌスのキリスト教への回心は、この問題との格闘のなかで開けてくることになります。

次回はアウグスティヌスの回心について、扱ってみたいと思います。

注:昔から神の観念(それ以上考えることのできない完全、無限etc)から神が存在することを証明する「本体論的証明」というものがあります。つまり、もし神が存在しないなら、存在を欠いているぶんだけ神は完全とは言えず、したがって神は存在すると言ったらいいでしょうか。アンセルムス以来のこの証明に対して、昔から「完全な島」という観念があればそれが存在するといえるか。観念から存在を引き出することは誤りだとの反論がありました。デカルトの神の存在証明に対して、同じような批判が起きた時、デカルトは、彼が考えている完全なる神の観念はそんなものではなく、もっとすごいものなのだ、と反論したということを昔何かの本で読んだことがあります。頭脳明晰なデカルトがそのように言うのは、それなりの理由があるはずです。おそらく彼の念頭にあった神の観念が、アウグスティヌスが自分の存在を否定する方が神の存在を否定することより容易だと述べたのと同じ直観が根底にあったのではないでしょうか。