心が決まるということ
もう30年も昔になる。仕事を終えた僕は、四谷の土手にそった歩道を駅に向かって歩き始めた。その夜、いつになく疲れていた僕は、通りかかったタクシーに迷わず手をあげた。タクシーに乗り込むと、たて続けにタバコを二本吸った。煙が車内に充満した。自分の無礼な振る舞いに気づいた僕は、人のよさそうな初老の運転手に、声をかけた。
「すみません、タバコを切らしていたので」
「いいんですよ。私も昔はヘビースモーカーだったから」
「禁煙されたのですか。僕は何回試みてもいつも挫折してしまいますよ。」
「昔、一人娘が病気になりましてね、いてもたってもいられなかったから、自分が一番好きなものをやめようと思って、タバコ断ちをしたのです。」
人間は大切なことのためなら自分の一番好きなことでも捨てることができる・・・運転手の言葉は、僕の心の深いところに残った。
当時ヘビースモーカーだった僕は、何度も禁煙を試みた。しかし、決意は数時間ともたない。節煙はもっと悲惨だった。いわゆるリバウンドだ。結果は、喫煙量がさらに増加した。結局、自分には禁煙は無理だと思った。決意をしても、誘惑に負けるなら、本当の決意ではない。禁煙の辛さを思い浮かべると、決意することが怖いとさえ思うようになった。
二週間くらいたって、風邪をひいた。ひどく咳が出て、体力が消耗した。ある晩、咳き込んで夜中に目を覚ました。いったん寝つくとめったなことでは目を覚まさない僕にとって、ショックだった。その次の日も咳きで目が覚めた。その翌日、また就寝後に咳き込んだ。夜中にベッドの上に一人座った僕は、その時、なぜか祈った。「タバコをやめます」
それ以来今にいたるまで、僕はタバコを一本も吸っていない。職場の同僚は、僕の禁煙を信用しなかった。しかし、僕には確信があった。決意はしなかったが、心が決まった。あの夜、あの運転手さんと出会わなかったら、僕は今でも禁煙をできないヘビースモーカーでいつづけていただろう。