慟哭

慟哭

「男の子はめったなことで泣くものではない。泣くなら悔しくて泣け。」

昔、幼い息子にそう言ったことがある。しかし僕自身は悔しくて泣いたことはなかった。そんな僕が、その後一度だけ、悔し涙を流したことがある。しかも担任をしていたクラスの教室で、生徒たちのまえで・・・

教師になりたてのころ、同僚にK先生という体育の教師がいた。年齢的には、僕の大先輩だった。運動部の顧問で、明朗闊達な先生だった。時には厳しく生徒に接することもあったが、その厳しさの中には生徒への愛情があった。それを肌で感じていた生徒たちのK先生への信頼は厚かった。

僕が勤めて何年くらいたった頃だろうか。生徒の気質が次第に変化し、生徒指導が難しい時代になった。特に、ある学年が入学当初から荒れていた。従来のように教師の言葉に素直に従う生徒も少なく、荒れた雰囲気が校内に漂っていた。K先生もそのことで悩まれただろう。先生の人間的魅力が生徒を惹きつけ、それが良い結果をもたらす。そのような先生のスタイルにも行き詰まりを感じたのではないだろうか。そんな状況だからこそ、先生は厳しく生徒を指導する必要があると思ったに違いない。教師が一致団結して生徒たちに当たれば、何かよい結果をもたらすことができるはずだ。先生はそう考えたのだろう。

しかし、僕の考えは違っていた。生徒を叱咤激励することも時には必要だろう。しかしその前に何よりも生徒の信頼を得る必要がある。生徒の一挙手一投足のなかに、彼らの心の動きを読み取ろうとする姿勢が一番大切だ。教員の一致団結よりも、それぞれの教員の個性を生かした対応の仕方があるべきではないか。そのように考える僕に、K先生はきっとよい感情をおもちではなかっただろう。

そんな折、K先生が病に倒れた。そしてお亡くなりになった。K先生の訃報を僕たち教員は、その日の帰りの終礼で生徒たちに告げることになった。教室に行くと、僕は教壇から生徒たちを見つめて、伝えたいことがあるからこちらを向いて欲しいと言った。いつもとは違う雰囲気を察知したのか、生徒たちは黙って前をむいてくれた。僕は、K先生がお亡くなりになったことを告げた。教室が沈黙に包まれる中、僕はK先生の思い出を語り始めた。最後に、僕はK先生のような教師になりたかった、と生徒たちに告げた。その時、僕は抑えていた感情を制御しきれなくなった。言葉が詰まり、涙があふれて止めようもなかった。

教室にいた生徒たちは、僕が悲しくて泣いていると思っただろう。それはまちがいではない。僕は悲しかった。また、「K先生のような教師になりたかった」との僕の言葉も心からのものだった。しかし、僕の涙は悲しみから出たものではなかった。ただ、ただ悔しかった。

目の前に生きている生徒を愛し、彼らが本当に自分らしく輝いて生きることに何か力になれたらという思いが一杯あるのに・・そして、そのために教師はどうしたらよいのか、心の深いところで悩んでいる、その意味では、僕たち教師は同じ悩み苦しみを共有する仲間であるはずなのに・・何故、いがみ合い批判的な目でお互いを見なくてはならなかったのか・・

そのようなことを生徒に話すことはできなかった。ただ、ただ悔しくて泣いた。
あの時、沈黙に包まれた教室で泣いた時、僕は何かを学んだ。

今、僕は思う。僕たちの生き方は様々だ。しかし、その根底には、誰にでも喜び、悲しみ、そして苦しみがある。表面上の違いではなく、同じ人間として、深いところで理解しあい、和解と平和をつくりだす。そんな風に僕は生きたい。