prologue


プロローグ

冷たい泉に 素肌をひたして
見上げるスカイクレーパー
好きな服を着てるだけ 悪いことしてないよ (注)

 高校の文化祭。ロックバンドの演奏をする会場には、若者たちの熱気のなかで、生徒たちが演奏する激しいロックのリズムが響きます。当時、若者の間で流行っていたプリプリのダイヤモンドの演奏を、耳ではなく、全身の皮膚で感じながら、僕は当惑していました。

 僕の当惑には、二つの意味がありました。

一つは、静かな音楽が好きだった僕にとって、このような強烈なビートの中に身をおいている自分が、どこか奇妙で場違いな存在と感じていたことです。

しかし、後一つはもっと複雑なものでした。

ロックのバンドの顧問になって以来、僕は、色々なことを考えさせられました。どこか斜に構えて、時には偽悪的な振る舞いをする高校生。ロックを演奏する高校生たちには、そのような生徒もいました。しかし、一方で、そのような生徒たちに、感受性が鋭く、心の純粋な生徒が多いということを発見することもしばしばありました。

ダイヤモンドだね AH AH いくつかの場面
AH AH うまく言えないけれど 宝物だよ
あの時感じた AH AH 予感は本物
AH 今 私を動かしてる そんな気持ち 注)

 何かに憑かれたように、生徒たちの歌っている姿を見て、また、その歌詞を聴きながら、彼らを動かしているものは、何だろうと考えました。よくは分かりません。でも、はっきりしていることは、経験したことのなかに、確かな「本物」があること。それが大切な宝物で、今の自分を動かしている。少なくとも、表面的な嘘ではなく、そのような本物が欲しいと、彼らが強く感じていることは確かです。

 この「本物」を求めている生徒たちに、何故、僕の倫理の授業の声は響かないのだろうか。このような疑問が、渦巻いていました。

確かに、授業に興味を感じて、熱心に耳を傾けてくれる生徒もいました。また、自分の授業の内容についても、それなりの自負もありました。しかし、「これでは何かいけない」との心の叫びは止みませんでした。何であれ、表面的な言葉の遊びではなく、「本物」を求めて激しく生きている生徒たちに、響く何かを伝えること、これはチャレンジングなことだ。しかし、僕自身が「本当にそうだ」と思うことを、心をこめて話せば、何かが伝わるのではないだろうか。

この本は、そのようなことを考え、また、誓いながら、長年教師をしてきた僕自身が、高校で担当してきた倫理の授業の原案をもとに、書きつづってきたものを、まとめたものです。「倫理」とか「哲学」という言葉で、一般的な高校生が抱くイメージは、あまりよいものではありません。「過去の人のことを学ぶだけのこと」、「世界史の文化史の一部」、また、社会科の常として「暗記するもの」等々が、多くの生徒のイメージです。この本の目標の一つは、そのようなイメージを払拭することです。ソクラテスは「ただ生きるのではなく、善く生きることこそが問題だ」と訴えます。過去の思想家たちが格闘した問題は、決して抽象的なものではありません。倫理の授業をしてきて、生徒の感想で、僕自身が一番嬉しいと感じるものは、「哲学や思想とは特別のことを扱うことではなくて、誰もが本当は心のなかに漠然と抱いている疑問に関わっていることだと思った。」というものです。

 現代社会は病んでいます。このことは、誰もが切実に感じているでしょう。社会病理現象は、ニュース番組などメディアを通じて、嫌になるほど社会に溢れていることが知らされます。そのような社会の中に、僕たちは生きています。大人は悩み、子どもは悩まないということでは、決してありません。むしろ、心が純粋であるからこそ、若い人たちのほうが、なお一層、社会の歪とそれに伴う苦しみのしわ寄せを受けています。しかし、希望はあります。少なくとも僕の経験では、若い人たちは、柔軟で鋭い感受性をもっています。例えば、宮沢賢治の「全ての人が幸せにならなければ、自分の幸せはない」という言葉や、「衆生が病むからわれも病む」との維摩の言葉を考えてみてください。このような考えは、経済や効率がなりよりも優先される現代社会では、世間知らずの人間の言葉として、侮辱的な扱いを受けているのが現実です。しかし、純粋な心のある人々には、それが適切なコンテクストで表明されるなら、これらの言葉は、きっと、「本当にそうだ」と受け止められると思います。

 この本を、若い人たちに元気になって欲しいとの願いをこめて書きました。「実存」という概念をつくり出したキルケゴールの「講話」は、いつもこのような書き出しではじまります。「私が喜びと感謝とをもって、私の読者と呼ぶ、あの一人の人よ、この贈り物を受け取って下さい。」キルケゴールは、無責任な大衆ではなく“今・ここのこの私”を真剣に生きようとしている一人一人に、語りかけようとしています。僕自身も、今まで授業でであった多くの人たちの顔を思い浮かべながら、その一人一人に語りかけるつもりで、この作品を書きました。皆さんにとって、何かの力になればと思っています。

 この本は、古代思想をあつかっています。高校の授業がベースになっていますが、内容は、高校で学ぶ範囲に限定しませんでした。何かを考え、またそれを伝えたいと思うときに、必要と思われる内容を、自由に書きました。その際、二つのことを意識的に試みました。一つは、単なる言葉だけでなくて、「体験」というか、「心からうなずけること」を重視したことです。「そのとき、僕はそう思った」とか、「それがとても印象的だった」などという雑談も、意識的に多く入れました。そのような体験的裏づけのない話は、少なくとも僕の経験では、心に響かないからです。あと一つは、話し言葉を使ったことです。この本は、授業を想定して、僕自身が語りかけるという形式になっています。専門用語を使って叙述をする書き言葉よりも、話し言葉のほうが、ずっと伝わりやすいと考えるからです。何かが伝わり、それを通じて、皆さん自身が自分の人生について考えるきっかけになればと、思っています。

注:プリンセスプリンセス ダイヤモンド 詩 奥井香