法隆寺雑感
法隆寺には何か人を惹きつける魅力があります。
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
有名な正岡子規のこの句からは、なぜか、赤とんぼが飛ぶ夕暮れに、夕陽を受けて鮮やかに映える法隆寺の姿が思い浮かんできます。
聖徳太子によって建立されたと伝えられていることも、法隆寺に何か神秘的な魅力を与えている要素かもしれません。聖徳太子は日本人にとって、その実像はよく知られていないにもかかわらず、なぜか懐かしい、または不思議な存在です。最澄や親鸞のように、過去の多くの宗教家が深く敬愛した聖徳太子のゆかりの法隆寺は、それだけで人を惹きつけるものをもっているのでしょう。また、法隆寺は世界最古の木造建築で、国宝や重要文化財が数多くあります。飛鳥時代から各時代の建築物が並ぶ法隆寺は、見る人によって、さまざまの知的・情緒的な刺激を与えてくれます。
法隆寺には、数え切れない見どころがありますが、ここでは、僕にとって印象深い法隆寺の側面を記してみたいと思います。
南大門から西院伽藍へ
法隆寺は世界最古の木造建築である塔や金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする東院伽藍からなります。皆さんはまず、西院伽藍から参詣することになるでしょう。その際、南大門から入ってまっすぐに西院伽藍の中門にむかって歩きます。この南大門からまっすぐ中門にむかって歩く途中で見られる西院伽藍の姿が僕は好きです。法隆寺自体が、聖徳太子やその一族の無念を封印するために建てられたもので、中門は、その中央に太い柱を通すことによって人の侵入を妨げているとの、梅原猛氏の奇抜な説を思い浮かべながら中門に向かって歩いたことがあります。しかし中門の右奥に金堂、左奥に五重塔を眺めながら西院伽藍に近づいていくと、そのバランスの見事さから、梅原氏の説を忘れてしまいました。是非、そこから見える法隆寺西院伽藍を味わってください。
五重塔
塔はストゥーパといいます。ストゥーパはもともとはお釈迦様の遺骨を安置して祀るためのものでした。ストゥーパが卒塔婆、さらに簡略に塔と呼ばれるようになりました。法隆寺の五重塔は日本最古の五重塔として知られています。塔の最下層の内陣には、奈良時代の初期に造られた塑像があります。東面には維摩と文殊菩薩の問答、北面には仏陀の入滅、西面には仏陀の遺骨(舎利)の分割、南面には未来物である弥勒菩薩の説法が見られます。
北面の仏陀入滅の塑像群は印象的です。右を下にして枕に静かに入滅(没)した仏陀を取り囲んで、仏陀の弟子である羅漢たちが声をあげて泣いたり、悲しんだりしています。諸行無常。すべては移ろい過ぎる。それゆえこの世界の事物に執着するな。たゆまず修行せよ。こう説いた仏陀の教えを忘れたかのような羅漢たちの悲嘆は、人間の悲しい現実を顕しているように思えてなりません。そのように嘆き悲しむ羅漢たちの背後にいる菩薩の悲しみの中にも落ち着いた姿は何を意味しているのだろうかと不思議な気がします。内陣の内部は薄暗くて見にくいので、懐中電灯でもあれば便利でしょう。
東面の維摩経の一場面もいろいろなことを考えさせられます。皆さんの知っているように、聖徳太子には「三経義疏」という作品があります。(聖徳太子の真作ではないのではという疑惑ももたれていますが)「法華経」「勝鬘経」「維摩経」に関する注釈書です。それぞれ大乗仏教を代表する経典です。もし「三経義疏」が太子の真作であるならば、聖徳太子の仏教理解は彼の時代の日本では並外れた本格的なものだったでしょう。「維摩経」は在家の仏教徒である維摩が仏陀の弟子である出家者をやりこめるという内容のものです。もしかしたら、出家者ではなかった聖徳太子が、維摩の中に自らの姿を二重写ししていたのかも知れません。
大講堂から五重塔を臨む
法隆寺の西院伽藍の中では、僕は大講堂が好きです。大講堂が好きと言うのは正確ではありません。大講堂の薬師如来を拝観するのではなく、薬師さんに背を向けて講堂の中から眺めることのできる景観が好きといったほうがよいでしょう。奈良のお寺と京都のお寺との間には大きな違いがあります。自然の中にそっと包み込まれるようにたたずむ京都のお寺に対して、自然空間のなかに突如出現した壮大な伽藍を奈良のお寺は特色とします。あの時代、仏教は個人の信仰に問いかけるものというよりは、寺院を創建した者たちの力を誇示するものであったでしょう。聖徳太子が派遣した遣隋使への応答使として、隋から派遣された裴世清は、日本には道らしい道はない。日本の道は獣道のようだ。前を行く人の姿は草ですぐに見えなくなってしまう。このような報告をしています。もっとも彼らが上陸をした対馬は、いまでも道があまり整備されていないことで有名ですが・・・。しかし、当時の日本にはまっすぐに伸びた大路などはなく大部分の国土は、未開ともいえる自然の姿であったでしょう。そのようなことを意識しながら、法隆寺の大講堂からの眺めをみてみると、その景観はながめるものを圧倒する印象を与えたはずです。ここの集まった学生(僧侶)はこの大講堂で仏教の勉強をしたでしょう。恐らく全国の各地から優秀な頭脳が集まったのではないでしょうか。彼らが研鑽の合間に、この講堂から五重塔が臨む大伽藍の景観を眺めるとき、恐らく、彼らはこの国の中心に位置する一大文化センターに今きているのだとの感慨を強くもったはずです。みなさんも機会があったらもう一度法隆寺の伽藍の眺めを大講堂から見てみてください。ちなみに何年か前に高2の修学旅行についていったときに僕が撮った写真を載せておきます。
秘仏救世観音
東院の夢殿には秘仏救世観音があります。聖徳太子の等身大とされるこの秘仏は、年に一回晩秋に公開されています。残念ながら、恐らく皆さんが修学旅行に行くときには公開期間は終わっています。太子信仰では、聖徳太子は救世観音の生まれ変わりと言われます。明治になって、秘仏であるこの救世観音を、法隆寺の反対にあいながらも、フェノロサらによって開示されたことは有名ですね。神秘的な雰囲気を漂わせるこの観音様を、機会があれば拝観することをお勧めします。