転機
僕は28歳で初めて教職に就いた。就任当初は、戸惑った。生徒を指導するという言葉にどうしてもなじめず、自分は教師に向いていないと感じた。教師を長くやっていくことが難しいと思った。特に初めて中学の担任になってからは、悩むことが多かった。事務的な仕事も山ほどあり、要領の悪い僕は、いつも時間に追われていた。また、担任として生徒との「面談」も苦手だった。年に一回はクラス全員の生徒と個人面談をすることになっていた。しかし、話もはずまず、生徒も深いことは話してくれなかった。
そんな悩みを抱えていたころ、高2の「倫理」の授業でキリスト教を扱うことになった。倫理の時間には、僕はキリスト教についてはあまりくわしいことは話さない。ミッションスクールであったし、「宗教」の時間もあるので、生徒たちはキリスト教のことはある程度知っているだろうと思ったからだ。キリスト教については、毎年テーマを決めて、一時間だけ話すことですましていた。その時は簡単に「イエスのファリサイ派批判」の話をするつもりだった。
授業の骨子は次のようなものだった。
福音書のなかで、イエスはファリサイ派の人々に対して厳しい批判をしている。偽善者であるとか、中身が腐っている、等々。しかし、ファリサイ派の人たちは、客観的に見ると、決して悪い人ではない。むしろ民衆の宗教指導者として、熱心に律法を守ろうとしていた。それにしては、イエスのファリサイ派への非難は厳しい。それは何故だろうか、というテーマだった。
ファリサイ派は確かに、行動においても立派で、倫理的にも厳しく自己を律していた。しかし、倫理的に立派な人は、時として、自己ばかりでなく、他者に対しても厳しくなりがちだ。ファリサイという言葉は「分離」を意味している。言葉の由来は、ある時期にファリサイ派が最高議会であるサンヘドリンから追放されたことからついた名前という説があるようだ。しかし実際ファリサイ派は、例えばローマに与するサドカイ派と自分たちとは違う、律法を尊守しない罪人と自分たちとは違う、と他者を差別し断罪しがちだった。しかし、当時「罪人」と呼ばれた人々はさまざまの人がいた。意志が弱くて罪を犯してしまう人もいただろう。無学であるが故に、細かい律法の内容を知らずに、罪を犯すものもいただろう。あるいは、安息日に労働をしてはいけないといっても、働かなくては生きていけなかった人もいただろう。また、当時のユダヤの社会では、病気は罪の結果であると考えられた。現代の感覚からしたら罪人とはいえないような人まで、さまざまの人がいた。しかし、ファリサイ派の人々は、多くの人々の罪のみをみて、その人が何故罪を犯さざるをえなかったかを、見ようとしなかった。
そのように言おうとしたとき、僕の頭の中にふと自分が悩んでいた生徒との面談の風景が浮かんできた。
自分は一体、あの面談の席で何をしていたのだろうか。確かに、生徒の話を聴こうとしていた。しかし結局は、外から見られた生徒のさまざまの現象をみて、それに対して自分の意見を、つまりこのようにしたらいいのではないだろうかと、忠告をしていただけではなかったのか。生徒の話す内容に眼を向けていたが、そのように語っている生徒そのものを見ていなかった。結局、目の前にいる一人の人間そのものには心を向けないで、その現れた好ましくない現象のみに目を奪われていた。そう感じたとき、思わず語気を強めた。ファリサイ派が一見倫理的には非の打ちどころがない立派な人々であったにもかかわらず、イエスが激しくファリサイ派を批判したのには、彼らが人々の「罪」のみを見て、その「人」そのものを見ようとしなかった、つまり、その人そのものに対する愛がないというのが、その根本にあった。思わず「愛がない」という言葉がでた。そして、そのとき僕は思った。愛というのは決して難しいのもではない。眼の前にあらわれるものを、あるがままに受け入れることだ。自分の尺度や価値観からではなく、ありのままのその人を、ありのままに断罪することでなく受け入れることだ。
あの授業の最中に、思わず「愛がない」という言葉が口をついて出たことは、僕にとって大きな体験だった。それは、ファリサイ派に対する言葉であったが、僕自身に対するイエスの言葉のように,僕の心に響いたからだ。自分が勉強をし、豊かな知識に裏づけられた、分かりやすくよい授業をすればよい。生徒に対しても、常に適切な助言をあたえることができるようがんばっていればよい。僕はそんなふうに考えていた。そんなことではない! あの時、僕はそのことを確信した。あの時の授業は、僕がその後の長い教師生活を歩む転機となった。あの体験がなければ、僕は早くに教師をやめていたか、あるいは、独りよがりの教師でいつづけただろう。