第一回 人間は考える葦である


第1回 人間は考える葦である ~はじめに~

皆さん今日は。これから一緒に人間の思想を勉強していきたいと思います。ここでは、僕が思想という言葉で何を意味しているのか、また、何を学ぼうとするのかをお話したいと思います。

話の前に少しだけ、僕の中学校時代の思い出を聞いてください。中学時代の僕は、決して真面目な生徒ではありませんでした。だから、クラブ活動のことは覚えていても、授業のことはほとんど記憶にすらありません。でも一つだけ、国語の授業の一時間が妙に心に残っています。それはこんな授業でした。教科書で志賀直哉の「清兵衛と瓢箪」という作品を読んだ時のことです。この作品のことは、皆さんも知っているでしょう。瓢箪好きの清兵衛という少年が、丹精をこめて集め手入れしていた瓢箪を、父親に取り上げられてしまった。清兵衛が大切にしていた瓢箪は、その後、人の手に渡るたびに高値がついていったが、そのことを清兵衛も父親も知るよしもありません。その後、絵を描くことに熱中し始めた清兵衛に対して、彼の父親はまたぞろ小言をいい始めた、というものです。この文章を読んだ後で、国語の先生(向井先生というおばあちゃん先生でした)が、僕たちに質問をしました。「この話には後日談がある。清兵衛が大人になった時、彼の子どもが瓢箪に興味を持ち始めた。それに対して、清兵衛はどんな態度をとっただろうか。」単純な僕は、子どもの頃に自分が大好きだった瓢箪集めを禁止された清兵衛は、当然、子どもには理解を示すだろうと思いました。でも、先生の答えは意外なものでした。清兵衛は、彼の父親と同じように、子どもの趣味を理解せずに禁止した、というのです。その時、僕は、人間というものは本当に不思議なものだと思いました。「大人になる」ということは、本当に様々の可能性があるのだと思いました。清兵衛はそのような大人になりました。皆さんはどうでしょうか。どのような大人になっていくのでしょうか。この十年で、皆さんのアイデンティティー(自分が自分であるという自分らしさ)はできあがっていくでしょう。それぞれがどのような人間になるかは、皆さんの問題です。この本で、そんな皆さんの少しでも参考になることを、お話できたらと思っています。

閑話休題

これから古代の哲学思想を学ぶつもりです。哲学と思想とは全く異なるものであって、哲学思想などと言う者は、哲学も思想も何もわかっていない、と言う人もいるでしょう。でも、それは定義の問題であって、ここでは、古代の人々の“ある知的な営み”を、大雑把に哲学とか思想とかいう言葉で表現しているだけです。学生の頃、僕はドイツ語を第一外国語として、西洋哲学を専攻していました。その頃の僕は、哲学はギリシアで始まったヨーロッパの伝統であり、東洋には哲学はなかった、と単純に考えていました。しかし、そんなバカなことはありません。人間は生きている以上、自分と世界、自分と他者、そして自分が生きている意味を、問わざるをえません。それは、ヨーロッパであろうと、アジアであろうと、現代の僕たちであろうと、同じことです。その結果、人間は哲学や宗教をつくりだしてきました。そのような人間を突き動かしてきた精神というか、その知的な営みを、ここでは哲学とか思想と理解します。そして、そのような営みのなかで、自分は一体どう生きたらよいかと問うことを、思想とか倫理と考えたいと思っています。哲学とは何かは、そのようなプロセスの中で、一緒に考えてみたいです。

ただ、これから古代の思想や哲学を学ぼうとする皆さんに、一つだけ言いたいことがあります。哲学は現代社会において、是非必要なものだということです。教師になりたての頃、僕は、必ずしもそう思ってはいませんでした。でも今は、哲学が現代では必要だと思っています。一例をあげて、考えてみたいと思います。

皆さんは東京裁判のことを知っているでしょうか。東京裁判とは、第二次世界大戦の後、日本の戦前・戦中の指導者の戦争責任が問われた国際軍事裁判のことです。この裁判では、東条英機をはじめ、7人が絞首刑に、また、16人が終身禁固刑になりました。今まで知らされていなかった戦争中の日本軍による南京事件などが明らかにされましたが、勝者が敗者を裁いた、などといろいろな問題を残すことになった裁判でもありました。その中で、インドのパル判事は、少数意見として、仏教のダンマパダ(法句経)の「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」(注1)という言葉とともに、東京裁判の設置自体を疑問視して、各自に無罪判決を出しました。パル判決は、東京裁判を批判的に見る人々の側から、引用されることが多く、また場合によっては、大東亜戦争の正当性を主張する側から使われることがありそうです(注2)。でも、僕が考えたいことは、そういうことではありません。このダンマパダの言葉と、そこに見られる精神です。現時点の世界を見ると、あの9月11日以来、“報復”という言葉が、公然と使われるようになりました。現実に、今、アメリカの先制攻撃により先端が切って落とされたイラクでの戦争は、どのように終結していくのでしょうか(注3)。戦争は、また新たな憎しみを生んでいくでしょう。憎しみの連鎖を、どのように断ち切ることができるでしょうか。親しい大切な人を殺された人の立場に立てば、赦しほど難しいものはないでしょう。でも、人間の精神は、視点を反転させて、そのような状況自体と、そこに立つ自分自身を、根本から問い直すことができます。“果たしてこれはなんだろうか”“私はこれでよいのだろうか”と。そこに、哲学や思想や宗教が生まれる素地があると思います。そして、上に引用されたダンマパダの高邁な精神も、そのような反省と思索の中から生まれたものだと思います。哲学の根本には、当面しているさまざまの事象にのめりこむのではなく、そういう“おまえは何か” quid tu es ? という問い返しがあります。人間を根本から問い直す、と言ってもよいと思います。そして、そのような反省こそ、とりわけ混迷を深めている現代には、必要だと思っています。

本当に、現代社会においては、周りに影響されて付和雷同するのではなく、落ち着いて自分自身に立ち返って考えることが必要とされていると思います。「人間は考える葦である」という言葉があります。パスカルの「パンセ(瞑想録)」に登場する有名な言葉です。しかし、「考える」ということはどういうことでしょうか。または、僕たちは何を考えたらよいのでしょうか。僕は「将棋」が好きで、昔は、よく将棋道場に通ってさしたものです。将棋に限らず、知的なゲームでは、それを楽しむ人は恐ろしく沢山の事を考えます。ある目標があれば、それを実現するためにはどうしたら良いのか、僕たちは考えることができます。現代社会では、様々の文明の利器があって、僕たちの生活を物質的に快適なものにしてくれています。これらのことも、誰かが一生懸命考えたため実現したものでしょう。そういう意味での「考える」ということも、人間だからこそできることでしょう。しかし「目標」の実現のために「考える」ということは、価値的にはニュートラル(中性)です。「完全犯罪」を成功させるために一生懸命考えることもあります。また、「自分が他の人々のためにいかに役に立つ人間となれるか」を考えることもできます。しかし、振り返って考えてみると、そのような目標自体が、一体正しいものなのか、そもそも、僕たちにとって本当の目標とは何だろうか、さらに、そもそも目標をもって生きていること自体とは、僕たちは生きているということはどのような意味があるのでろうか。そのように考えることも人間の特質です。哲学とか、思想において「考える」とは、自分の外に目をむけて考えるだけでは成り立ちません。この「私が本当は何ものだろうか、私が本当に心からうなずける生き方とは何だろうか」との問が不可欠です。

次のようなことを考えてみて下さい。地図はあるけれども、そこに緯度も経度もなにも描かれていなければどうでしょうか。なかなか読み取りにくいのではないでしょうか。しかし、緯度があって経度あって、自分の生活をしている地点にマークが記されていれば、地図上でのオリエンテーション(方向付け)ができるのではないでしょうか。この世界における自分なりの意味付け、方向付けは、僕たち一人一人が自分で行わなければならない作業ではないでしょうか。ちなみに、パスカルは「人間は宇宙のなかで取るに足らない微力なもの、儚いもの」と考え、それを一本のか弱い「葦」と表現しました。しかし、一方で人間は、自分の惨めさ、そして、宇宙の広大さを考えることができる存在です。しかし、宇宙は広大で偉大であるといっても、自分のその広大さを知らない」として宇宙に対する人間の優越を「考える」ということにみようとしました。つまり、「考える葦」という言葉で、パスカルは「人間の悲惨と偉大」を表現したのです。人間とは不思議な存在です。人間は本当にいろんなことを考えてきました。過去の偉人たちが、白紙の地図上に自分なりの緯線と経線を引く作業といったものを、学ぶことによって、僕たちは自分なりの、この世界におけるオリエンテーションを刻みだしていくことができたらと思います。

前置きが長くなりました。これから学ぼうとする内容の話に入ります。次の資料は、ヤスパースという人の「歴史の起源と目標」という作品からの引用です。ヤスパースは、今はもう亡くなっていますが、20世紀の実存哲学を代表する人です。哲学者の言葉はとかく抽象的で難しいと言われます。なるべく分かりやすいように訳してみました。括弧の中は、僕が分かりやすいように意訳して補った部分です。一渡り読んで、すべて分からなくても結構です。この本を読み終わった後には、ここでヤスパースが言おうとしていることも、大方は分かるようになると思います。


歴史哲学は西洋においては、キリスト教の信仰にその基礎をもっていた。アウグスティヌスからヘーゲルにいたる巨大な作品において、この信仰は、歴史の中に神の業をみた。神の啓示の諸行為は、歴史における決定的な切り込みであった。だからヘーゲルの時代になってさえ、彼はなお、すべての歴史はキリストへとおもむき、キリストに由来すると言ったのであった。我々の年代の数え方自体が、世界史のこの構造の日常的証明となっている。
 しかし、キリスト教信仰は一つの信仰であり人類の信仰ではない。そのように歴史を(キリスト教的に)普遍化しようとする見解は、敬虔なキリスト教徒にのみしか通用しないという欠陥をもつ。…<略>…
 世界史に基軸があるとするなら、それはキリスト教徒ばかりでなく、全ての人間にとって通用するような、事実として経験的に見出だせるはずのものであろう。その基軸は、人間がその時以来、人間でありうるようなものが生まれた時点、あの恐ろしいまでに実り豊かな<人間存在の形成>がなされた時点であろう。この<人間存在の形成>の仕方は、西洋とアジア、そして全ての人間にとって、特定の信仰の内容を尺度とするものではなく、…<中略>…経験的な洞察により、納得できるようなものであろう。その結果、全ての民族にとって、歴史的な自覚という共通の枠が生ずるであろう。そのような世界史の基軸は、およそ紀元前500年頃に、紀元前800年から200年の間に起こった精神の成長過程の中にあるように思われる。その頃に、今日でも我々が共に生きている人間が発生したのである。この時代を簡潔に「基軸時代(注4)」と名づけよう。
 この時代には驚くべき事件が集中して起こった中国では、孔子と老子が生きたし、中国哲学のあらゆる方向が発生し、墨子や列子や、その他無数の思想家が登場した。インドでは、ウパニシャドが発生し、仏陀が生きたし、あらゆる哲学の可能性が、つまり懐疑主義や唯物論、さらに詭弁術や虚無主義に至るまで、ちょうど中国の場合と同様に、発生した。イランでは、ゾロアスターが善悪の闘争という挑発的な世界像を説いた。パレスチナでは、エリアからイザヤ、エレミヤ、さらに第二イザヤへと至る預言者が登場した。ギリシアでは、ホメロスやパルメニデス、ヘラクレイトス、プラトンなどの哲学者、そして悲劇作家、トゥキュディデスやアルキメデスなどが登場した。以上の名前から浮かび上がってくる全てのことが、この数世紀の間に中国とインドそして西洋において、相互に知り合うことなく、ほぼ同時に発生したのである。
 この3つの世界すべてにおいて、この時代に生じた新たなことは、人間が全体として、人間自身と人間の全体を意識したという点にある。人間は世界の恐ろしさと、人間自身の無力さを経験した。…<略>…
 この時代に根本概念が生み出されたが、今日でも、我々はこの根本概念の枠内で思索をしているのである。また、今日に至るまで人間がそれを源にして生きている世界宗教の端緒が開かれたのも、この時代であった。あらゆる意味で、普遍的なものへの歩みが(この時代に)行われた。
 この過程を通じて、その時まで無意識のうちに当たり前に通用するとされていたものの見方、慣習、状態は吟味され、疑問視され、崩壊していった。…<略>…
 神話時代の安らぎと自明性は終わった。ギリシア・インド・中国の哲学者たちや仏陀は、その決定的な洞察において、預言者たちはその神につての考えにおいて、非神話的であった。神話(ミュートス)に対して理性の側から、理性によって啓蒙された経験の側からの戦い(ロゴス<理性>対神話<ミュートス>の戦い)が始まった。さらに、ありもしない霊たち(デーモン)に対する、一なる神の超越姓をまもる戦いが始まった。倫理的な反発からおこる非真実な偶像的神々に対する戦いが開始された。神性は宗教の倫理化によって高められた。…<以下略>…
  「歴史の起源と目標」ヤスパース : Vom Ursprung und Ziel der Geshichte より


ヤスパースはこの「歴史の起源と目標」の中で、人間はどこから来てどこに行くのかを問いました。人類は一つの起源から起こったと考えるヤスパースは、人類史をえがく軸となる時代を、どこに置こうかと考えました。歴史の座標というか軸を西暦に求めることを、ヤスパースは嫌いました。西暦とは、キリスト教の信仰から、救い主であるイエスが生まれた年を基準に、歴史を見ようとする考えです。しかし、特定の宗教に対して警戒心をもっていたヤスパースは、西暦とは、キリスト教徒にのみ通用する基準であって、全ての人類に共通する歴史の軸にはなりえないとしました。結局ヤスパースは、引用文で下線を引いたように、紀元前500年ころを中心としたある時代に注目しました。この時代に、洋の東西を問わず、同時多発的に、今の人類にも影響をあたえている宗教や哲学が発生したという事実に注目したのです。この時代に中国では、孔子や老子などの諸子百家が、インドでは、世界最古の哲学とも言われるウパニシャド哲学や仏教が、イランでは、ゾロアスター教が、パレスチナでは、預言者たちが登場して、ユダヤ教が宗教としての純粋性を強めていき、ギリシアでは、哲学が生まれました。この時代にはじめて、人類は人間らしい人間へと再生した。この時代を、ヤスパースは基軸時代と名づけました。この時代がいかに実り豊かであったか、この話が進むうちに、皆さんにも分かってもらえると思います。この本の目標は、ヤスパースが基軸時代と呼んだ時代に生まれた古代の思想・哲学・宗教を、皆さんと一緒に考え、学ぶことです。古代思想を学ぶということは、ただ単に、昔の思想を学ぶということではありません。古代思想の中に、今に通じる普遍性を、または、今僕たちが生きていること自体にも関わる問題を、問い直してみるということです。古典を学ぶということは、そういうことだと思います。

最後に一言。もしかしたら内容的に難しい部分もあるかもしれません。なるばくテクニカルターム(専門用語)を使わずに、分かりやすい言葉で、お話をしたいと思っています。でも、僕自身の表現能力や理解の不足から、適切な言葉で表現できず、その為に、すべてを理解することはできないかも知れません。でも捨てずに考えながら読み続けて下さい。例えば、地平線に沈む真っ赤な太陽を思い浮かべてください。もしあなたが、その太陽を実際に眼にして見ることができなくとも、「赤い太陽」と誰かが言うとき、本当に赤い太陽を見ている人が、本当に美しいと思って「赤い太陽」というとき、その人が、本当に赤い美しい太陽に感動して「赤い太陽!」と言うならば、それを聴いた人は、何かそれは美しいものなのだということは、感じられると思うのです。どれほどのことができるか分かりません。でも、出来る限り僕自身が感動した古代の思想の素晴らしさを、皆さんに伝えることができたらと思っています。


注1:岩波文庫「真理のことば 感興のことば」10頁 中村元訳

注2:東京裁判におけるパル判事の素晴らしさをたたえることは、勿論悪いことではありません。しかし、気になるのは、国家主義的観点から東京裁判の問題点をあげて、日本の侵略戦争に対しての反省を自虐的歴史観と退けようとする立場から、パル判決を取り上げることです。そのようなことは、パル判決の高邁性を損ねるのではないかとの危惧を感じます。

注3:この原稿のもとは2003年3月24日に書き上げました。イラク戦争が始まってまだ1週間たっていない頃です。開戦理由の主因となったイラクの大量破壊兵器が存在していなかったことが証明された今、あの戦争は何であったのか、アメリカを全面的に支持した日本政府の責任はどうであるのか等々、考えるべきでしょう。とにかく戦争については言いたいことがいっぱいあります。大国のmight is rightとも言うべきあり方に腹が立ちます。ささやかな皮肉を一つ。Dulce bellum imperitis (戦争を知らない輩には戦争は甘い)。

注4:枢軸時代の枢軸とは Achse という言葉で、一般には枢軸という訳がつかわれています。でも、枢軸という訳は、第二次世界大戦の時の日独伊枢軸国を連想さます。枢軸国の枢軸も Achse という言葉でした。2002年にアメリカ大統領のブッシュ氏が、イラクや北朝鮮を悪の枢軸と呼びました。英語では axis ですが、これはドイツ語のAchse と同じで、どこか戦争前の枢軸国を連想させます。あえて基軸と訳しました。