奈良の大仏
パスカルの「考える葦」をまつまでもなく、人間の大きな特色に「考える」ということがあります。僕がまだ夢見る少年の中学生だったころ、友達と極小と極大ということについて取り留めのないことを考え、そのことについて話し合ったことがありました。人間は本当に小さな存在です。広大な自然に比べて本当に小さな存在です。宇宙から見れば、本当に、無に等しいとさえ言える極小な存在です。でも一度ミクロの世界に思いははせてみると、人間は巨大な存在にもなります。たとえば、この手のひらでも、極微の世界から見るなら、広大な宇宙ほどの大きさともいえるでしょう。だとすると、この手のひらの中にも、宇宙があるかもしれない。そんなことを話し合ったことがありました。
今考え直してみると、少年の頃そのように考えたことは、東大寺の宗派である華厳の考え方と似ています。華厳では根源的な仏を盧舎那仏と考えます。盧舎那仏は万物の根源であるから、あらゆるものは盧舎那仏の現われとなります。釈迦如来も盧舎那仏の現われです。そのような考えの根底には、すべてのものは無限に相互依存している華厳の考えがあります。それゆえ、どのような微細なものの中にも、宇宙全体がひいては盧舎那仏が現れていると考えます。小さな毛穴のなかにも仏の世界があると考えます。東大寺の盧舎那仏が座す蓮華座の蓮弁には釈迦如来を中心とした世界が描かれています。つまり、蓮の華の花びらの中にも広大な宇宙が存在するというのです。
東大寺に大仏殿を作り盧舎那仏を安置する一方で、各地に国分寺をつくりそこには釈迦如来や薬師如来などの仏を安置する。その政治的意味は明瞭です。全国の国分寺の仏の根源は東大寺の大仏であるとすることによって、宗教的に奈良の都がその中心的位置づけを得ることになります。
743年に聖武天皇が盧舎那仏の造営を発願しました。不安な世相をしずめ、人心の安定をはかろうとしたものです。752年に大仏開眼式が行われました。式には孝謙天皇、聖武上皇、皇太后以下多くの官人が出席し、一万人の僧侶が招かれて盛大に行われました。開眼導師にはインドから招かれたボーディセンナ(菩提僊那)、その他にも唐などの外国からも僧侶が招かれて国際色豊かな開眼式であったと伝えられています。
東大寺の大仏は「奈良の大仏」として親しまれ、何度も兵火に焼失しながらも、その度に再建されてきました。現在の大仏殿は聖武天皇による創建当時よりも横幅が三分の二ほどに縮小されていますが、それでも世界最大の木造建築の威容を誇っています。現在の大仏は江戸時代に造られたもので、わずかに大仏の膝と蓮弁が創建当時のものとなっています。しかし、大仏殿の前の八角燈籠は幸いなことに幾多の兵火を逃れて創建当時のままの姿をとどめています。楽器を手にした音声菩薩の像が鋳造された燈籠で、天平文化の香りを残しています。終戦後、奈良にいたアメリカ進駐軍の司令官が、本国からきた日本の文化財調査にあたっていた役人に、この燈篭がどれほどの値段がするだろうと尋ねたところ、美術のわかるその文政官は「もし日本から賠償金がとれたとしたら、この燈籠一つで十分だ」と答えたそうです。(久野健「仏像の歴史」山川出版) 大仏殿を訪れた時には忘れずに鑑賞したいものです。